メンタル限界ADHD人間のなんでもごちゃまぜ日記

メンタル限界ADHD人間によるどうでもいいブログ

前職の入社から退職まで

前回の記事が1年半前。

自分でも当ブログの存在を忘れていました。

 

 

初期の頃の記事で"前職をやめた経緯については別記事に書く"と言っていたにも関わらずいまだに1ミリも話していないことに気づいたので、今回は新卒で就職した企業をやめるまでのお話。

まあまあ長いのでお時間のあるときにどうぞ。

 

 

四年制大学を卒業後、新卒でとある企業に一般枠で就職した。

なぜ障害者雇用ではなく一般雇用だっとかというと、ADHDの診断を受けた時点ですでに内々定をいただき新卒での就活を終えてしまっていたこと、障害者枠での就職となれば手帳の申請から発行までは半年以上の通院期間が必要であるため4月の一斉入社に間に合わないという理由からである。

 

周囲と同じであることが重要だと思っていたし、多数派に合わせることが失敗しないために必要だと考えていたから、留年した等の特殊な事情があるわけでもないのに入社時期が周りとずれてしまうことに強い不安を覚えていた。

 

いま思えば、そんな理由で発達障害を隠し一般枠で就職すべきではなかったし、そのせいで会社には多大なる迷惑をかけてしまった。

Choromeの人生は常に二択を間違え続けているのである。

 

 

新入社員研修を終えて配属されたが、初日から体調不良に見舞われた。

 

学生時代は毎日吐きそうになりながらも片道1時間半かけて中学と高校、そして大学に通っていた。

 

休むことはほとんどなく、ほぼ毎年皆勤賞だったがゆえに自分は病弱どころかむしろ身体が強いほうだと思い込んでいたくらいである。

 

身体が弱いというのは、体調不良で学校を休みがちになり進級や卒業に必要な出席数を満たせないことだと思っていた。

 

しかしよくよく考えてみると、朝起きるたびに激しい頭痛がしていたし授業中に謎の失神を毎日繰り返していたし、帰宅部なのに週に一度は疲れ果てて家に着くと食事も摂らず風呂にも入らずそのまま朝まで寝てしまうような状態だった。

 

誰もがそんなものだと思っていたが、大人になって当時の友人たちに聞いてみると学生時代にそのような限界状態になったことはないという。

 

学生時代の週5通学すらまともにこなせない体力で、8時間勤務×5、場合によっては残業という社会人の生活に耐えられるはずがないのは自明の理だった。

 

頭痛と倦怠感に耐えて出勤しても座って姿勢を維持するだけで精一杯であり、とても集中して作業を行える状態ではない。

周囲も気を遣ってしまい、タスクを振ることができなくなる。

納期厳守でそれなりに激務の職場であったため、体調不良でいつ早退や欠勤をするかわからない新人に仕事を任せられないのは当然である。

 

これではまずいとADHDの治療薬コンサータに手を出すが、一度失った信頼を取り戻すことは至難の業であるし、薬で強引に身体を動かすことはできても仕事をこなすのに必要なスキルや知識不足までカバーすることはできない。

 

せっかく作業を与えられても遅遅として進まない。

ADHD特有のケアレスミスも追い討ちをかける。

結局、途中まで手をつけたが期限までに終わらせられず、同僚に丸投げして尻拭いをさせるという始末である。

 

配属された当初、OJT担当の先輩がついており仕事の進めかたを教わったり、社内のお偉いさんに見せるプレゼン資料の添削などをしてくれていた。

しかしその先輩が半年もしないうちに退職、代わりに指導役となった別の先輩もそこから3ヶ月ほどで職場を去った。

 

ただでさえいてもいなくても変わらないお荷物なうえに、作業の指示を出したり相談に乗ってくれる先輩方が誰一人としていなくなったことで、Choromeは完全に職場で干された。

入社から1年もたっていなかった。

 

どうにかしたいと思ってはいても身体の具合は日に日に悪化していき、それをごまかすためにコンサータを服用しては副作用でさらなる体調不良を招くという悪循環だった。

 

藁にもすがる思いで大病院を含めたありとあらゆる医療機関を受診し検査入院までしたが原因不明、身体の調子が良くなることはなかった。

 

完全に干されてからというもの、出社しては定時まで自席でネットサーフィンをする日々。

周りは納期に終われ常に殺伐としており自分の作業のことで精一杯なので、Choromeが仕事中に5chを見たり動画を漁っていても、もはや見向きもしなかった。

 

そしてそんな社内ニート生活も2年で終わりを迎える。

所属部署からの異動通知である。

しかし異動先として記載してある部署は実際には存在していないものだった。

つまり現在の部署をクビになっただけで次の行先はどこにもない、事実上の戦力外通告である。

 

どの部署にも所属していない宙ぶらりん状態のまま2ヶ月が過ぎたころ、新たな配属先が決まったとの連絡があった。

しかしそこは当時住んでいたところから片道1時間半かかる場所だった。

 

"今の会社をやめてしまえばもう二度と自分を雇ってくれるところなど見つからないかもしれない" 

などという不安に駆られていたため、この期に及んでもまだ退職という選択肢が自分の中になく、長時間の通勤など耐えられるはずがないとわかっていながらその部署への異動を受け入れた。

 

異動先も以前に負けず劣らず激務のようだったが、忙しいなかでも担当の先輩はChoromeにもできそうな作業を選んで任せてくれていたし、時間を割いて質問に答えてくれていた。

 

同じフロアで働く別部署では怒号が飛んでいたが、Choromeの周りは優しいおじさんと真面目な後輩ばかりだった。

 

心機一転、ここで頑張りたいという気持ちはあったが、やはり身体がついてこなかった。

もはや定時まで座っていることすら叶わず、午後には有給を申請して早退するようになってしまった。

 

ここまできてようやく限界を感じ、退職を申し出た。

不安や後悔よりも"もう行かなくていいんだ、コンサータを飲まなくて済むんだ"といった安心感、解放感のほうが大きかった。

 

 

ADHDに加え複数の持病持ちである自分には出社ありのフルタイム勤務は不可能であるということに気づくまで、実に3年もかかってしまった。

だがそのおかげで今は無理なく働くことができているのだと思う。

前職での経験は決して無駄ではなかったと思いたい。

 

 

 

まとめ

労働が向いてなかった