メンタル限界ADHD人間のなんでもごちゃまぜ日記

メンタル限界ADHD人間によるどうでもいいブログ

発達障害の女、同性の友達少なすぎ問題

こんにちは。Choromeです。

雨の日に出かけたら2分くらいで靴に浸水して萎えました。

 

 

 

発達障害の女には同性の友達を作るのが難しいというお話。

 

発達障害(特にASD)の傾向があるとコミュニケーション能力の低さから同性の友人と呼べる存在があまりいなかったりするのだが、女性の場合はこれが特に深刻である。

 

女性同士の会話では高い共感性が求められる。

相手が同調してくれている、と感じると安心感を覚え信頼度が増していくのである。

相手が何かを話したらまずは共感、なにをおいてもこれである。

 

しかしながら発達障害があると共感性に乏しくなりがちで、まずは相手に共感することが求められているのにいきなり否定したり具体的な解決策を提示し始めたり間違いを指摘して論破しようとしてしまいがちである。

すると「この人に話しても嫌な気持ちになるだけで無駄」と判断され距離を置かれる。

”知らないあいだに嫌われている”現象の完成である。

 

発達障害がなくても女性の友情というのはそもそも維持が難しいらしい。

進学、就職、結婚、妊娠・出産といったライフステージの変化にともなって自身の立場が変わってくると、以前と変化していない相手の考えに共感しづらくなり、親友だったのに疎遠になるということも珍しくないとのこと。

ママ友はあれどパパ友は存在しないことを考えると、やはり似たような状況にあり共感を得られるということが女性同士の関係を維持するのに重要なのであろう。

 

ただでさえ女性のコミュニケーションは発達障害者にとって複雑で難易度が高い。

そこにChoromeのような趣味が男性的という属性が加わってしまうと、同性の友人作りが極めて難しくなる。

「あなたとは趣味が合わないから話していてもつまらない」

と同性の友人に言われたときは絶望したものである。

 

そんなChoromeも女友達ともっと仲良くなろうと彼女たちが好きなものを調べ上げ、それらを履修するために余暇の時間のほとんどを使って話を合わせようと努力したこともある。

彼女らがハマっているというソシャゲを片っ端からDLしては遊んだり、よくわからないアニメ映画やコラボカフェなどにも同伴し、できるだけ彼女たちが好きなものを自分も愛そうと頑張っていた。

 

だがそんな生活を2年ほど続けていたある日、シンプルな疑問が浮かんだ。

彼女たちは好きなことを好きなだけ楽しんでありのままで生きられるのに、自分は好きでもない謎のアイドルソシャゲやVtuberの配信を見るのに限られた時間とお金を使っている。

しかし相手のほうはどうだろうか。

興味がありそうな素振りを見せると嬉しそうにアレもコレもと勧めてくるが、こちらの話には無関心だし聞いてくることもない。

「ゲーム?うーん、ソシャゲならやるけどゲーム機持ってないし下手だから面白くないんだよね」

こっちがどれほど話題を合わせようと努力しても相手がこちらの趣味に興味を持ってくれることはないのだ。

これはフェアな関係なのだろうか?

こうでもしないと維持できない関係は本当に友達と言えるのだろうか?

こんなことを続けていて何年後かに後悔しないだろうか?

自分の時間は自分だけのものではないのか?

そう思い始めると一気にバカらしくなってしまい、話を合わせるためだけにいまいちハマれないコンテンツに手を出すことはなくなった。

 

自分の時間とお金は自分の好きなことに使うべきだし、自らの趣味を我慢してまで他人に合わせる必要などない。

その結果、同性の友達がいなくなるならしかたない。

それも含めて自分の選択だし、無理をしなくても自然と話が合う異性の友人と仲良くすればいい。

そういう結論に至り、ここ1年ほどはそのスタンスを貫いてきた。

学生時代の女友達からは無事ハブられたが、異性の友人にいくらでも信頼できる存在がいるので、そんなことどうでもいいと思っていた。

 

 

だがある日、事件が起こる。

別件でかなりメンタルにクる事案があり、1人で考え込んでいては悪い方向にしかいかないため、誰かと話して少しでも気分転換をしようと、個人的にかなり信頼している異性の友人と2人で電話をしていたときのことである。

 

実はその友人には交際している女性がおり、電話の音声から話し相手であるChoromeが女であることがバレてしまったのである。

そこからは浮気を疑った交際相手の女性と友人が言い争う形になり、まごうことなき修羅場と化してしまった。

 

Choromeは自身のことをあまり女性的ではないと思っているし、その友人のことも異性として意識しているわけではない。

だがそんなことは当事者同士しかわからないことであり、第三者からすればどう見たって”男と女”なのである。

 

意図しない形ではあったが加害者となってしまったことで、異性の友人しかいないことのリスクの高さをようやく実感した経験だった。

 

 

やはりどれだけ難しくても同性の友達を軽んじるべきではなく、発達障害の有無に関わらず女性には女性の友人が必要なのである。

 

共感を求める会話が難しいから、趣味が合わないと言われたから、同性にいじめられた経験があるから etc…

なんやかんや言い訳をして「男性の友達のほうが気楽〜」などと異性の友人とばかり仲良くしてきたが、けっきょくのところそれはただの逃げなのではないか。

 

女性同士の会話や関係性の維持が難しいと感じているのは自分だけではない。

発達障害の有無に関係なく、おそらく多くの女性にとって女友達というのは一筋縄ではいかない関係だが、それでも彼女たちはマメに連絡を取り合ったり嫌な思いをしても許し合ったりして良好な関係を維持するための努力を続けているから友人であり続けられるのだ。

 

それを煩わしい、めんどくさい、意味がない、男性とならそんなことしなくていいのにと切り捨てて逃げ続けた結果が今のChoromeなのだろうと思う。

そして自分が追い詰められたとき、助けてくれる同性の友達がおらず異性に頼ったがゆえに失敗してしまったのだ。

 

 

冒頭でも述べたように発達障害傾向のある女性にとって同性の友人を持つことはかなり難しい。

知らないあいだに嫌われている現象を何度も経験すると、それがトラウマとなり新たな人間関係を避けるようになる。

しかしそこから逃げ続けても最終的には袋小路に追い詰められてしまうだけなのである。

 

同性の友達といかにうまくやっていくか。

これはChoromeにとって人生のテーマになりそうなほど難しい事案ではあるが、逃げずに向き合う姿勢が求められているのだと思う。

 

 

 

まとめ

どげんかせんといかん